JAL(日本航空)が国内線エアバスA350、2019年9月より運航開始

2019年9月羽田ー福岡線から

JAL(日本航空)が9月から世代交代を国内線で開始します。ボーイング社のボーイング777

(スリーセブン)の後継にはエアバス A350が就航するということで、

国内線で20年近くメインで就航していた、ボーイング777(トリプルセブン)が9月の羽

田ー福岡線から代替わりを開始します。

また、羽田ー那覇・羽田ー大阪・羽田ー札幌などの区間の運航も随時拡大していくとのことで

すね。

JAL自体エアバスで運行するのが初めてということと、今回、31機導入(最大56機導入予

定)するということで注目を集めています。

機内インテリアの充実

サービスの向上の一つといたしまして、座席シートの改善が挙げられます。どのように改善されています。

ファーストクラスのシート

貝殻のように包み込む大型シェルシートと、中央部の仕切りを付けたことでプライベート感が

アップ、クッション性を高めてソファのような座り心地に仕上げたようですね。

座席操作が電動ボタンになり、国内航空会社で初、マッサージ機能が備えてあるというから驚

きです。

プレミアムエコノミー(クラスJ)

レッグレストの角度と長さが調整できるようになったようです。

エコノミー(普通席)

座席幅がボーイング777(スリーセブン)より1.5cm拡大し、約44cm(ひじ掛け間)に広が

ったため、窮屈な感じは受けないということですね。

結構、フライト時間的には短いですが、窮屈感なくゆったりと寛ぎながら目的地まで行けるの

は、ポイント高いですね。

全席にタッチパネル式のシートモニター

全席にタッチパネル式のシートモニターを設置しています。画面サイズは10型

モニターでは、映画などがみられるようで、行きの機内で鑑賞した映画なども

帰りの飛行機内で続きが鑑賞できるようになっているよですね。中断時に提示される8ケタの

コードを入力すれば次回の搭乗時に見れるとのこと。

当然、それでも最後まで見られなかったとしても、次回のフライトでまた見ることができよう

ですね。

大容量の手荷物スペース

大きな改善点の一つに、大容量の手荷物スペースを設置したとのことですね。ありがたい 🙂

特に国内線のではお土産ものなど、機内に持ち込む手荷物が多くなるために、大容量で

乗務員が片手で開け閉めしやすい収納棚を開発したとのことですね。

東京ディズニーランドのお客さんなんか見ていると、大量のお土産を抱えて帰ってきてるのを

よく見かけますよね。

これもままのサービス向上要因ですね。

燃料費・整備費の縮小

エアバス導入の理由の大きい要因の一つとして燃料費・整備費費用の削減がありますね。

年間の燃料費が1機あたり約2億円改善されるという。また、エアバスの弱点といわれてきた、

整備の部分「予測整備」の技術を一層高めているということで、整備費の削減も期待できると

いうことですね。

また、その裏付けとなっているのが、エアバスA320が、世界的に大ヒットしたことによって

経済的に余裕が生まれたのが大きいという事ですよね。

優秀な人材を確保することにも成功し、それに伴って整備の分野の能力をアップさせて、

今回のエアバスA350が完成したということのようですね。

旅行者の大量輸送

国際的には「非常にレアなケース」ということなのでしょうが、JALは短い距離を大量の旅

行者を運ぶために、大型機を使用するということで、「効率を優先した」戦略なんですね。こ

れは、稲盛イズムなのかな?

長い目で考えたときに、飛行機を頻繁に買い替えるということは、当然考えにくいですし、

そもそも、エアバスは長距離の飛行にも優れているという側面も考えると、ある程度の長期の

期間使用できると考えてみると、選択としては良いのではないでしょうか。

エアバス社とは

1970年12月にフランスのアエロスパシアルと、西ドイツのDASAが共同出資し設立された 。

最近ではアメリカのボーイング社と市場を二分する巨大航空機メーカーです。

事実上、世界でこの2社から飛行機が供給されてると言っても過言ではありませんね。

稲盛和夫さんのJAL再建における功績

約20年以上もボーイング777(スリーセブン)を国内線でメインに飛ばしていたにも関わら

ず、今回エアバス社のエアバスA350に代替えしたのでしょうか?

少なからずとも、「稲盛和夫さんの教え」の中で最高の選択を日本航空はしたのではないでし

ょうか。

2010年、戦後最大の負債額を抱えて経営破綻した日本航空(JAL)の再建を見事成し遂げ

たのが稲盛和夫さんです。

まず、日本航空(JAL)再建にあたり稲盛和夫さんがまず行ったのが

「社員の意識を変えることが改革」が再建の第一歩だったそうですね。

当時は、主要な部分「会社にとって重要なセクション」は高学歴の人材10ほどで構成された

「企画部」というところですべてが決まっていたようですね。「お役所」仕事的なことだった

んでしょう。

稲盛さんは、この「企画部」を廃止して、現場で働いたことのある人材を幹部に引き上げたみ

たいですね。

当然といえば当然ですね。現場の経験のない高学歴で頭のいい人を幹部にしたところで

現場で起こっていることや、本当の意味での現場に「必要なこと」、「必よとしていること」

に気が付きませんし、わからないでしょうから・・

俗にいう「机上の空論」ということになってしまうんでしょうね。

また、稲盛さんの教育の原点になったのが「リーダー教育」と呼ばれる勉強会

だったようですね。

役員や部長クラス、あるいはノンキャリアでも将来性のある若い人など、選抜された52名を

対象に、ほぼ毎日、1回1時間、稲盛さんが講義し、懇親会を行うというものだったみたいで

す。

また、当時の幹部が一番心に響いたのは「利他の心」だったとのことで、稲盛さんからの質問

『君は誰のために仕事をしているんだ?』と言われて。今までの仕事に対する考え方が変わ

ったと話されていますね。

Visited 1 times, 1 visit(s) today
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク